“好き”ってなあに③~好きになると生きている実感が強くなる~ 森林原人の「続・セックス幸福論」

“好き”になると、それを手に入れたいと思ってしまうので、思うように手に入らない苦しみが付いてまわる。

でも、“好き”な物や人には心地よさを感じていて、そんな“快”を持った対象が自分の中に存在することになるので、“好き”って気持ちを持つこと自体が嬉しいこと。

ここまでがおさらいで、いよいよ“好き”の核心に迫っていきます。

“好き”になった時をイメージにすると、自分から対象にハートの矢印が飛んでいっている感じです。まずは、一方通行の矢印をイメージしてください。

一方通行ですが、“好き”になると、対象と繋がれます一方通行の方向性を持った糸で繋がっている関係ができます。

これが、自分が世界と繋がっているとか、自分が世界に存在している実感になります。

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“好き”ってなあに②~好きだから嬉しい~  森林原人の「続・セックス幸福論」

人を“好き”になるとは、その人に興味関心を持ち、知り、好ましいと思い、だから手に入れたいと望み(入手願望)、でもそう簡単に叶わないから苦しみを伴うと説明しました。でもこれだけでは、“好き”を全て説明できていません。だって、人を“好き”になった時の喜びに触れていないからです。

人を“好き”になると、その人を手に入れられなくても、好きになれたただそれだけで、なんだったらその人がただただ生きているだけで嬉しかったりします。入手願望らしいものは叶っていないのに、なんで嬉しいのでしょうか。

“好き”とは、その対象が人だろうが物だろうが好ましく思っている状態です。好ましいと思っている時、人は何かしらの“快”を感じています。好きな歌を聴いている時や好きな物を食べている時、好きな洋服を着ている時、人は心地良さを感じています。正確には、心地良さを感じるから好ましいと思うのです。

“好き”の正体は、“快”なのです

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“好き”ってなあに①~好きだから苦しい~  森林原人の「続・セックス幸福論」

「好きな人ができました」そこにあるのは愛でしょうか、それとも欲望でしょうか。

これは、拙著『セックス幸福論』のまえがきで書いた一文です。この問いへの答えを一冊かけて書いたつもりなのですが、実は今でも迷っています。もしかしたら違ったんじゃないか、もしかしたら問いのたて方自体が間違っていたんじゃないかと。

好きな人ができるのって、凄く素敵なことですよね。それは、人生に彩りを添えてくれるような、昨日まで見ていた景色が別物になるような不思議な出来事です。これってなんでなんでしょう?

好きな人がいると、感動しやすくなりませんか。以前は見向きもしなかった道端の花を綺麗だと感じたり、偶然耳にした恋の歌が自分のテーマソングのような気がしたり。

心の感度が明らかに上がっているんですよね。

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