“好き“ってなあに⑦〜支配関係〜

人と人をポジティブに繋げるものに、“好き”“憐れみ“  ”共感”があります。自分の恋愛やパートナシップを構成しているものがどれなのか?と考えていくと、今後の課題が見えてくるでしょう。

中には、このどれでもないという人もいるはずです。そういう人は、なぜいつも長続きしないのか?とか、どうして同じタイプの人と付き合って同じような傷つき方をしてしまうのか?と悩んでいることでしょう。その人達は、相手と支配関係や契約関係、ようするに割り切った関係で繋がっている傾向が強くあります。

自分の恋愛が、好き・嫌いの感情で成り立っているのではなく、主人と奴隷のように一方的に主導権があるような契約関係になっていることに気づくのはかなり難しいです。というのも、誰もが自分の感情や選択、価値観を正当化してしまう傾向があるので、間違いを間違いとせず、愛とはこういうものだと自分に言い聞かせたり、生活していくことを優先するために自分の感情を否定し、犠牲にしていくのです。

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“好き”ってなあに⑥~同情と共感の違い~ 森林原人の「続・セックス幸福論」

“憐れみ”とは、苦しんだり悲しんでいる誰かに同情し、助けてあげたいと行動することです。同情し、行動する、この2点が重要なポイントです。欠点は、助けたいと思った時点で、助ける側、助けられる側という立場の違いが生まれ、優越感や劣等感が生まれてしまうところです。

キリスト教では“憐れみ”は大切な教えの一つです。それは、神であるキリストによる罪深い人々への賜物です。つまり、人々からすると、神なる存在からいただくものです。神と人は立場が違います。神を崇める人からすれば、当然、神は上で自分たちは下です。(神が自分を上、人々を下に見ているかどうかはここでは考えません)

でも、人と人においてはどうでしょうか?AさんがBさんを「かわいそう、助けてあげたい」と思った時、Bさんは、Aさんの“憐れみ”によってかわいそうな人にさせられます。それは、時としてBさんの尊厳を傷つけることになります

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“好き”ってなあに⑤~好きと憐れみ~ 森林原人の「続・セックス幸福論」

今回は、人と人を繋げていく動機に、“好き”以外に“憐れみ”というものがありますという話です。

まずは意味を確認しておきましょう。

“憐れみ”とは、相手の苦しみや悲しみに深く同情し、助けたいと思い行動することです。

全く同じ読みで“哀れみ”という言葉もあり、意味も似ていますが、こちらはただ同情するだけで行動は伴いません。思いやりや情けも“憐れみ”と近いものですが、それ自体に行動が含まれているかどうかを考えると、“哀れみ”の方です。

“好き”という気持ちは、その対象に対して何かしらの“快”を一方的に感じていると説明しましたが、“憐れみ”の場合は苦しみや悲しみを感じているので心を痛めています。痛めているから、その痛みを和らげたいと思い行動に移します。

“憐れみ”に関して、順を追って考えてみます。

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